Person - 2018-11-06 04:44:00

タイで絵を描き続けることで、私「阿部恭子」を表現しています。

タイ在住 画家 - 阿部 恭子

ハードな下積み時代を乗り越えた日々。

「3歳でペンダコができた」と親に聞いたことがあります。子供の頃から絵を描くことが好きだったようです。ノートの隅っこや紙を見つけるたびに、絵ばかり描いていました。地元である大分の高校を卒業後、福岡のデザイン専門学校に入学、卒業後はデザイン事務所に就職しました。
時はバブル真っ只中。入社したデザイン事務所は、みんなで食事をするスタイルの会社だったので、下働きの私は仕事をこなしながら、会社みんなの食事の支度をして寝る時間もない、家に帰るのはお風呂に入るためや着替えに帰るだけの毎日でした。今思うと懐かしい思い出ですが、当時は本当に3K(キツイ!汚い!金がない)の職業だったと思います。
この2年間はデザイナーとして仕事を覚えましたが、絵が好き過ぎて、絵を大きく見せることばかり考えてしまい、絵の邪魔になるから文字は小さく(笑)とか、クライアントの意向に全く添えていないことに気がついて・・・。デザイナーには向いてないと感じて、その頃からイラストを描く方向に進もうと考えるようになりました。

 

大好きな絵を描いていたい!

フリーのイラストレーターとして仕事をしようと思い立ち、電話帳の「あ」から順番に営業をかけてお仕事をいただきました。あの頃は、とにかくいただくお仕事も多かったので、病気もできなくて、熱が出ても坐剤で熱を冷まして合間に仕事をして、口の中はヘルペスだらけ・・・なんてこともしょっちゅうでした。フリーになってからの仕事は順調だったので、後輩に手伝ってもらって、納品して・・・の毎日でした。とにかく、信用が大切で納期にシビアな世界でもあったので、「いただいたお仕事はきちんと納品しないと!」という想いと責任感で頑張ることができました。


大好きなタイ、そして運命の出会い。

フリーで仕事をいただくようになり、時間も有効に使えるようになったお陰で、以前から興味があった海外へ出かける機会が訪れました。日本も好きだけど、私にはもっと違う場所があるんじゃないか・・・ずっと感じていました。

たまたま行ったタイが好きになり、タイ観光庁の方とお友達になって、何度もタイを訪れていくうちに、どんどんタイにハマって行きました。たまたま、タイ語を教わっていたタイの留学生に紹介していただいたのが、当時、九州大学の留学生だった今の主人でした。ほどなくして結婚。そして、タイにお嫁に行くことになりました。

文化としきたりが日本とは違うタイ社会では、ご飯を食べること、入浴、洗濯、全ての暮らしにおいて、お嫁さんは一番最後。男性を立てる、家族の長を立てるルールに最初は戸惑いもありましたが、今ではひとつひとつの出来事や驚きも笑い話のひとつです。主人の母も「この人は日本人だから」という、ちょっと諦めみたいなものがあったかもしれませんね。私自身も、クヨクヨ悩むタイプではなかったので、乗り越えて来られたんだと思います。


タイで「絵を描いていく」ということ。

タイではイラストだけの仕事がなく、漫画家か、イラストも含んだデザインの仕事か・・・という選択を迫られました。「このままだと仕事がない、どうしよう!」ひとりで焦っていた頃、とある画廊のオーナーに「個展をやってみたら?」と誘われて、個展で絵が完売したのをきっかけに画家として絵を描くことになりました。

「子供を持つお母さんは家に居るもの」そんなタイ社会の考え方もあり、絵を描きながら家で仕事ができるようにと、お絵描き教室を始めました。最初は生徒さんが3人。それが、あっという間に約20人に増え、次の週には生徒さんが友達を連れて来て、最終的には200人位になってしまいました。
頑張りすぎて病気にもなりました。1ヶ月耐えて、病名が判るまでに3ヶ月。やっと判明した病名は重症筋無力症。手術をして治るまでに何ヶ月もかかりました。画家として活動しながら家事と育児をこなしつつ、教室も運営。その教室も10年かけて週に2回に減らし、生徒を40名に抑えたことで画家としても活動できるようになりました。

タイで家族と暮らすこと、絵を描いていくことを大切にしていたので、体が悲鳴をあげる状態になっても前向きでいられました。ちょっと辛くてもすぐに忘れることができて、猛烈に辛いと思うことはありませんでした。持って生まれた前向きな性格にも感謝です。



バンコク都心を走る高架鉄道「BTS」のフルラッピング


人と人のつながりを大切にしていきたい。

今では人とのつながりや、ひとつひとつの出会いが様々な関係に拡がっていくのを肌で感じることができます。タイにいても、故郷である日本を想い、関わることができること。日本の企業様との関わりから色々なお仕事に携わらせていただけること、そしてタイに来たからこそ出会えた、モノ、人、全てを愛おしく感じることができます。

「そうか、そうだったんだ!私は絵を描くためにタイに来たのかもしれない!」
そう思えるほど、私の描く絵はタイにあふれています。

東日本大震災後、岩手県釜石市のコスモス公園に高さ8m×横43m希望の壁画を作成しました。
遊び場を失くした子ども達に夢と希望を持ってもらうこと、子ども達に笑顔をを取り戻してもらうことが目的のプロジェクト。ここでの出会いや日本の企業・
人とのご縁によって、様々な方面に繋がりを持つことができました。そして、その出会いが私も想像していなかった分野にまで拡がりを見せています。

これからもずっと絵を描くことを通して、教室での生徒さんとのコミュニケーションや、お仕事、様々な出会いの場を少しでも多く持ちたいと思っています。  
絵を描くことが私の日常。そして、私そのものなのかもしれません。私の絵を観ていただいて、描かれている事柄ひとつひとつに興味を持っていただけたら・・・誰かの考えや、夢、生き方のきっかけ、「TORIGGER」になることができたら、私としても幸せですね。

 


岩手県釜石市こすもす農園の「希望の壁画」